いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は愛知県にお住まいのK・Sさん、女性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。
ということなんですが、K・Sさんメールありがとうございました。ずっと病気と向かい合いながら今までを生きてきたK・Sさんだからこそ、思いつくことができる「わたしにできること」なんだろうなぁと思いながら、メールを読ませていただきました。
ちょうど先々週取り上げたご質問でも触れましたが、クリスチャンとしてどう生きるのかということは、キリスト教の教えの中でも無視してはいけない大切なポイントだと思います。わたしたちは救われるために、キリストを信じる以外に何もすることはありません。しかし、キリストを信じる者としてなすべきことはたくさんあると思います。その中で、今自分には何ができるのか、そのことを考えることはとても大切なことだと思います。
前々回の番組の中でも触れましたが、自分のなすべきことがなんであれ、それが愛から出るのでなければ意味がありません。
使徒パウロはコリントの信徒への第一の手紙の中でこう述べています。
「全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。」
確かに、神への愛と隣人への愛から出てこないものは、偽善であったり自己満足であったりするかも知れません。そういう意味では、自分の行いの動機が何であるのか、いつも自己点検をする必要があると思います。自分を誇ったりする高慢な思いから出るものは愛から出るものではありません。
しかし、「自己満足」「偽善」「高慢」と言う言葉にあまりにも敏感になりすぎて、結局は何もしないことが一番いいことだなどと思ってしまうことこそ、「自己満足」や「偽善」や「高慢」だったりすることがあるので注意をしなければなりません。
私自身、牧師と言う仕事をしていると、いろいろな人から非難を受けることがあります。「おまえは偽善者だ」とか「自己満足のためにやっているんだろう」とか、言葉を挙げればキリがありません。もちろん、それがすべてただの誹謗中傷だとは言いません。痛いところを突いている指摘もあります。反省すべきところは大いに反省してこれからに活かしていきたい点もあります。
しかし、こうした批判の大半は、自分では何もしない人からの批判が多いのも事実です。K・Sさんのことを「無駄だし、自己満足にすぎない」と言い放ったそのお友達が、果たして病気で長期間入院生活を続けている子供たちのことを思ったり、その子達のために何かしようと考えたことがあるのでしょうか。ほんとうに一度でもそういう問題に関わったことがある人ならば、同じ批判をするにも、もっと適切なアドバイスをくれたことでしょう。もし、その批判が愛から出ているのであれば、真剣に耳を傾ける価値があります。しかし、愛から出ないただの批判であるならば、耳を傾けるに価しません。
K・Sさんは「自己満足に過ぎない」という批判に心挫かれてしまったようですが、もう少し冷静に考えてみてはどうでしょうか。
K・Sさんがご自分にできることとして思いつかれたこと、ぬいぐるみを作って病気で長期間入院している子供たちを励まそうとすること、そのことはまだ何かの結果を生み出したわけではありませんね。実際、出来上がったものは、まだ子供たちの手にわたっているわけではなさそうですから、K・Sさん自身、自分がしていることに満足しているはずはないと思います。ですから、自己満足に過ぎないと言う批判は当たっていないはずです。
仮に、出来上がった物が子供たちの手に渡らないとしても、一所懸命にしていることに満足感を感じることが「自己満足」というネガティブな一言で片付けてしまえるような問題ではないはずです。
主イエス・キリストは、自分を愛するように自分の隣人を愛することについてお教えになるときに、その行いの基準は「自分にして欲しいと思うことを他の人にもしなさい」と教えられました。K・Sさんは、ご自分が小さい時に経験したことに基づいて、自分にして欲しいと思うことを他の人のためにしようとしているのですから、その思いと行いに満足感を得たとしても、それはただの自己満足とはいえません。キリストの教えに基づいて自分にできることをしているのですから、そういう自分をよしとすることがあってはならないとは思えません。
もちろん、大きなおせっかいをしているに過ぎないのであれば、「自己満足」というそしりを受けても仕方ありません。しかし、わたしが聞くかぎりでは、K・Sさんのしていることは大きなおせっかいとは思えません。
愛から出ないただの批判を恐れる必要はありません。K・Sさんには、ぜひこれからもK・Sにしか気がつかないこと、K・Sならではのことを通して、隣人を愛する生き方を貫いて欲しいと思いました。