タイトル: 「どうしたら強くなれますか?」 神奈川県 匿住所・匿名
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は匿住所・匿名ご希望の、男性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。
「山下先生、いつも番組を欠かさず聴いています。実はきょうは人には言えない相談があってメールしました。
わたしはまだクリスチャンではありませんが、キリスト教の番組は欠かさず聴くようにしています。
相談と言うのは、実はわたしにはどうしてもやめられないことがあります。具体的には言いづらいので、どうぞ察してください。
嫌なことがあったり、ストレスを感じたりすると、どうしてもそっちに走ってしまうのです。薬物とかアルコールとかそういうものではありません。おそらく法律的には悪いことではないと思うのですが、とても後ろめたいものです。
どうしてもやめたいと思いながら、ついつい誘惑に負けてしまいます。そのために借金までしてしまう自分に情けない思いがします。
友達に相談したこともありますが、別に悪いことではないし、男なら仕方ないのではないのかという返事です。またそういう商売をしているお店の子にきけば、自分たちがこの仕事をやめてしまえば、もっと悪い犯罪が増えてしまうから、この仕事は必要なのだとも言います。
それでも、やはり自分としては後ろめたさを感じ、そこから離れようと努力しています。現にこの一年ぐらいは遠のくことができました。
しかし、先日、誘惑に負けて、また行ってしまったのです。そういう弱い自分が嫌で嫌でたまらなくなり、自己嫌悪に陥っています。
ここにメールを書くのさえ、ずっと先延ばしにしてしまうくらい、自分は弱い人間です。いったいどうしたらこんな自分から立ち直ることができるのでしょうか。強い自分になる方法があれば教えてください。よろしくお願いします。」
ということなんですが、お便りありがとうございました。仮にAさんと呼ばせていただきますが、Aさんが勇気を出してメールしてくださったこと、そのことを嬉しく思いました。
お便りを読んで、大体どんな問題に直面しているのか察しがつきました。そこで、2つの事を思ったのですが、先ずはこの問題が含んでいる「心」の問題です。心の問題は心の問題の専門家がいますから、専門的な方のカウンセリングを受けることも大切だと思いました。
Aさんが走っているのは、アルコールでも薬物でもないとおっしゃいましたが、世の中にはそれ以外のものに依存してしまう「依存症」と呼ばれる心の状態があるようです。ギャンブルに依存したり、買い物に依存したり、あるいは仕事に依存したり、セックスに依存したり、様々な依存症があるようです。表に出る形は異なりますが、根っこにあるものは共通したものがあるようです。もちろん、私は専門家ではありませんから、これ以上のことは何も言うことが出来ません。しかし、専門家のカウンセリングを受けたり、自助グループに参加して依存症からの解放に向かうことも一つの道かと思います。
さて、もう一つ思ったことは人間全体にかかわる問題です。これはキリスト教の物の見方、考え方に関わる問題です。
Aさんが悩んでいる問題と言うのは、法律的に言えば非合法のことではないのでしょう。しかし、Aさんの良心を苦しめ、Aさんの魂が病んでいることは、何よりもAさんご自身が感じていらっしゃることだと思います。
Aさんご自身が問題について具体的におっしゃって下さらないので、あくまでもわたしの推測でものをいいますが、それはキリスト教的には罪である事柄に苦しんでいらっしゃるのではないでしょうか。
例え、周りの友達がそれを罪ではないと過小評価しようとも、また、その仕事に携わる人がそれを正当化しようとしても、聖書的に見れば罪といわざるを得ないものでしょう。
さて、この世の人がAさんの抱えている問題について、どう論評しようとも、聖書自身がそれを罪としていること、そして、何よりもAさんの良心がそれによって苦しんでいること、その2つの事実から出発して物事を考える必要があると思います。
Aさんはご自分が誘惑に負ける弱い人間だとおっしゃいましたが、しかし、3つの点でAさんは正しい方向に向かっていると私は思います。
その一つは、自分がはまってしまっているその状態をけっして良いこととは思っていないという点です。その点では聖書の指し示している道を見失ってはいないのです。
第2の点は一番目と関係していますが、自分のあるべき姿を知っていると言う点です。今、自分が陥っている状態が決してよい状態ではないと言うことを知っているばかりか、そこから抜け出して、どうありたいかと言うことをしっかり持っているということです。そして、わたしが見る限り、Aさんのその心のあり方も、聖書の教えに向かっていると思います。
3番目の点は、自分が弱いということ知っていると言う点です。自分の弱さに打ちのめされ、自分の弱さに失望していると言うことです。決して過信できるような自分ではないと言うことを知っていらっしゃるのではないでしょうか。
これらの三つのことに加えて、もう一つ大切なことを聖書は教えていると思います。それは、「人には出来ないが神にはできる」という真理です。あるべき姿がわかっていても、それができない弱さがあるとすれば、これは失望する以外にありません。聖書は人間がどんなに一所懸命自分を罪から救い出そうとしても、力がないことを教えています。しかし、それと同時に、その人間ができないことを神が責任をもって成し遂げてくださると約束してくださっているのです。
この神に全面的に信頼して、目標を目指して歩み続けること、このことが大切なのではないでしょうか。
ところで、人間、誰しも出来なかったことの方に、より多く心が向かいがちです。そして、できない自分に失望し、できない自分を人間のくずのように思い込んでしまいがちです。しかし、そこからは何も育ってはこないのです。むしろ、すべてを可能としてくださる神の力に助けられて、きょう出来たことを数えるべきではないでしょうか。Aさんは曲がりなりにも、一年近く、自分が嫌っていた状態を離れることが出来たのではないですか。そう導いてくださった神の力に気がづき、もっと神の恵みの力に頼っていくことが大切なのではないでしょうか。きょうこうして勇気を出してメールを書いて下さったことも、大きな進歩なのではありませんか。そのようにAさんを助けてくださる神の力にこれからももっともっと信頼を寄せて歩みつづけることが大切なのではないでしょうか。
もちろん、自分の弱さで挫折することがあるかもしれません。しかし、そのときには、出来なかったことに心を挫かれるのではく、むしろ、今まで出来たことに心を留め、それを可能にしてくださった神に目を留めようではありませんか。