タイトル: 「十字架は十字架でない?」 ハンドルネーム・ヤムさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオをお聴きのあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週はハンドルネーム・ヤムさん、男性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。
「山下先生、いつも番組ありがとうございます。わたしは田舎に住んでいるために、キリスト教放送を通していろいろと学ぶ機会が与えられています。いつかは教会へ行こうと思いますが、近くに教会がないのが残念です。
さて、きょうメールしたのは、わたしの知り合いで聖書に詳しい友達が、イエス・キリストの十字架は、実は十文字の形なのではなく、ただの一本の杭だったと言って譲らないのです。
しかし、どのキリスト教美術を見ても、イエス・キリストが掛かっているのは、文字通りの十字架ばかりです。もちろん、キリスト教美術が歴史的に正しい場面を描いているとは限りませんが、それでも、一本の杭にキリストが磔にされたといわれても、どうもピンときません。
はたして、十字架の形はその友人の言う通り一本の杭なのでしょうか。それとも、古来から描かれてきたとおり、十字の形をしていたのでしょうか。どちらが正しいのか教えてください。よろしくお願いします。」
ということなんですが、ヤムさん、メールありがとうございました。ヤムさんが住んでいらっしゃるお近くには教会がないということをお伺いして、日本ではまだまだ教会を必要としている地域がたくさんあることを改めて覚えさせられました。それでも、キリスト教放送を聴いて、こうしてキリスト教に触れていらっしゃる様子を知ることが出来て、嬉しく思いました。
さて、ヤムさんのお話を伺っていると、その友人の方と言うのは、ある宗教団体に属しておられる方ではないかと思いました。確かにその団体の教えによれば、イエス・キリストは文字通りの十字架ではなく、一本の杭に磔にされたと言うことをことさらに主張しています。
その団体がなぜ磔に使う木の形にそこまでこだわる必要があるのかはわかりませんが、今までキリスト教会が伝統的にそうだと確信してきたことに対して、大きな異議を唱えていることは確かです。
あらかじめ、お断りしておきますが、この十字架の形をめぐる議論は、聖書の教えの本質では決してありません。ですから、十字架の形をめぐる研究はあまり実りあるものとは思えません。ただ、歴史的な興味として、どちらが正しいのか取り上げて考えるのは面白いかも知れません。また、その団体の聖書の読み方がとても偏っていると言うことを示すためにも、敢えて取り上げることも大切かもしれません。しかし、何よりもその友人の発言で困惑してしまっているヤムさんのために、この問題を取り上げてみることにします。
それでは、ここで一曲聞いていただいてから、後半へ行きたいと思います。
==放送では、ここで1曲==
きょうはハンドルネーム・ヤムさんから寄せられたご質問、十字架の形について取り上げています。
日本語では「十字架」と呼んでいますから、誰もがその形は十文字であることが当たり前だと考えてしまうかもしれません。しかし、十字架と訳されているギリシャ語の単語は「スタウロス」という単語ですが、この単語自体には「二本の木が十文字に交差した形」という意味はありません。
では、この単語のもともとの意味は何かというと、垣根や柵に使われる垂直の「杭」や「棒」を意味していました。ここだけを取り上げれば、新約聖書に使われている「十字架」を表す「スタウロス」と言う単語は、十文字の形ではなく、ヤムさんの友人がおっしゃるように、一本の杭に過ぎないということができるかもしれません。しかし、言葉というものは、生き物です。使われる時代によって意味や内容も様々変わってしまいます。たとえば、わたしが子供の頃、テレビのチャンネルはダイヤルを回して合わせるものでした。電話もプッシュフォン式のものではなく、やはりダイヤルを回すものでした。それで、今でもついつい「チャンネルをまわして」とか「ダイヤルを回して」といってしまいます。しかし、わたしが「チャンネルを回して」といったからといって、わたしの家のテレビが旧式なダイヤル式チャンネルのテレビを使っている証拠にはなりません。どんなに「回す」という言葉の本来の意味が「円を描くようにぐるぐるとものを動かす動作」だとしても、それは、あくまでも本来の意味にしか過ぎません。それが何を表しているのかは、やはりその時代の言葉の使い方に沿ってものごとを考えなければなりません。
さて、このスタウロスというものは、本来は垣根や柵に使う垂直の棒でしたが、やがて磔刑の際に使う杭も、このスタウロスという単語で呼ばれるようになりました。ですから、このスタウロスを杭と翻訳するのは間違いとはいえません。しかし、磔刑はもともとペルシャで始まったものですが、ギリシャ、ローマへと伝わるうちに、様々なスタイルが生まれて来ました。形もT字型のもやX字型のものもありました。また、体重を支えるために止まり木のような出っ張りがあるものもありました。ですから、スタウロスという言葉だけから、その形が一本の垂直の杭なのか、それともT字型なのか、あるいは文字通りの十字型なのか、それを決定することは出来ません。むしろ、イエス・キリストと同時代にローマではどのように磔の刑が行われていたのか、そのことを調べる方が重要です。
ちなみに、当時の一般的な十字架刑は、最初から十字の形をした木材に手足を釘で打ち付けるというものではありませんでした。死刑囚は処刑場まで十字架の横木を背負わされ、処刑場で横木に手を釘付けにされるか、あるいはロープで横木に固定されたそうです。それから、既に建てられている縦の柱木に横木が引き上げられて処刑されたようです。
最後に、聖書は十字架の形について何か語っているかというと、残念ながら何も語っていません。また、一本の柱なのか、T字型なのか、その形に特別な意味付けを与えるような記述もありません。したがって、聖書が明確に語っていないことを一つの主張として語ることは、聖書に自分たちの思いを読み込んでいるに過ぎません。わたしたちに大切なのは、聖書から神の言葉を読み取ることであって、決して、わたしたちの主義主張を読み込むことではありません。
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