タイトル: 「ラクダ毛衣とは?」 神奈川県 T・Kさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオをお聴きのあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は神奈川県にお住まいのT・Kさん、男性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。
「山下先生、いつも番組での質問と回答を興味深く聞いています。
さて、早速ですが、わたしの素朴な疑問にもお答えくだされば、ありがたく思います。その疑問と言うのは、少しおかしな疑問ですが、バプテスマのヨハネの服装のことです。福音書によれば、バプテスマのヨハネはラクダの毛衣を身に纏っていたようです。『ラクダの毛衣』と言う言葉をきくと、つい『ラクダのシャツ』を連想してしまう世代のわたしですが、実際、聖書時代にはラクダは一般的な毛皮として使われていたのでしょうか。その辺のことを知りたく思い、お便りしました。よろしくお願いします。」
ということなんですが、T・Kさん、お便りありがとうございました。『ラクダのシャツ』と言う言葉に思わず懐かしさを感じてしまいました。ご質問からはそれてしまいますが、ラクダのシャツというのは、もともとはラクダの毛から作られていたので、その名前があるそうですね。わたしはずっとラクダ色のシャツと言う意味だと思い込んでいました。ラクダのシャツがいったいいつの時代にどこから入ってきたのか、なんだかそっちの方にちょっと興味を覚えてしまいました。
さて、話を元に戻しますが、バプテスマのヨハネが着ていたのは、ラクダのシャツならぬラクダの毛衣であったと、マタイ福音書とマルコ福音書にそれぞれ記されています。
「ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。」(マルコ1:6)
少なくとも、新約聖書の中でラクダの毛衣について記されているのは、この二箇所だけです。この事実だけから考えてみても、普通の人は着ないものではないかと思いたくなってしまいます。わざわざ服装について記すのは、そのいでたちが、いかにも普通とは違っていたからだと考えるのも、あながち間違えではないような気がします。
そこで、そもそも、ラクダがユダヤ人の生活の中にどの程度浸透していたのか、と言うことをまずは取り上げて考えて見たいと思います。といっても、あらゆる手段を尽くしてそれを調べることは、わたしには出来ませんから、聖書の中で分かる限りのことを見てみたいと思います。
==放送では、ここで1曲==
今週はバプテスマのヨハネが身に纏っていたラクダの毛衣についてのご質問を取り上げています。
先ずはじめに聖書の中で分かる範囲で、ラクダがユダヤ人の生活にどの程度入り込んできていたのか、そのことから見手みたいと思います。
先ずそもそも「ラクダ」という言葉ですが、ヘブライ語では「ガーマル」と言います。ヘブライ語のアルファベットの3番目の文字、英語のGに当たる文字は「ギンメル」と呼ばれますが、これも、もともとは「ラクダ」から来ている文字です。そこだけを考えると、アルファベットの文字にラクダが登場するのですから、随分、生活に密着しているように思われるかもしれません。しかし、ラクダを表す語彙の数は、ヘブライ語よりもアラビア語の方がはるかに豊富ですから、ヘブライ人にとってはアラビア人ほどラクダは生活に密着していない動物だとも考えることができるかもしれません。
さて、聖書の中でラクダと言う単語を拾い上げてみると、分布にばらつきがあることに気がつきます。旧約聖書の最初の五つの書物、いわゆるモーセ五書と言われている部分のうち、創世記にはらくだはたくさん登場しますが、しかし、出エジプト記、レビ記、申命記にはほとんど出てきません。民数記に至ってはまったくラクダは登場しません。
それに対して、他の家畜、たとえば羊や牛は旧約聖書全体に非常に多く言及されます。もちろん、これらの動物が犠牲用の動物として用いられてきたことを考えると、登場回数が多いのも頷けます。しかし、ロバとラクダを比べてみても、ロバの方が言及される回数はずっと多くなっています。
ちなみに、モーセの十戒の最後の戒め「むさぼってはならない」という戒めには、隣人の牛やろばについては名前が挙がっていますが、ラクダについては名前が出てきません。
さらに、レビ記によればラクダは食べることを禁じられている動物ですから、ユダヤ人の生活にはそれほどなじみ深いものとなるチャンスはあまり生まれてこなかったのではないかと思います。
もっとも、遠距離貿易にはラクダは活躍していたようですから、パレスチナのユダヤ人たちもラクダを見かける機会は非常に多かったのではないかと思います。イエス様が「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」とおっしゃって、大きな動物の例えとして登場させていますから、ラクダそのものが馴染みの無い動物ではなかったことは確かでしょう。
しかし、生活の中での密着度という点から考えると、やはり、牛や羊やロバに比べて、ラクダはユダヤ人の生活にそれほど馴染みがあったとは考えられません。
さて、以上のことを考え合わせて見ると、バプテスマのヨハネがラクダの毛衣を着て登場したその姿は、当時の人々にはかなり新鮮な驚きと印象を与えたのではないかと思われます。
ちなみに、福音書が記すバプテスマのヨハネのいでたちは、旧約聖書列王記下1章8節に記される預言者エリヤの格好に酷似しています。もっとも、旧約聖書が描くエリヤの姿は、「毛衣を着ていた」とも訳せますが、「毛深かった」とも訳せる表現です。
もう一箇所、毛衣と預言者のかかわりについて記した個所がゼカリヤ書13章4節にあります。そこには預言者たちの「欺くための毛皮の外套」について記されています。あまりいい意味で使われてはいませんが、しかし、当時の預言者のいでたちを表しているのではないでしょうか。
つまり、ラクダの毛衣は預言者であることを表す服装だったのではないでしょうか。