ごきげんいかがですか。江古田教会の風間義信です。
クリスマス、もう当たり前のように使われる言葉ですが、これはキリストのミサ、イエス様を礼拝するということです。なぜ、2000年ほど前の人を拝むのでしょうか。偉いことをしたから神になったのでしょうか。そうではありません。まことの神様がまことの人となられた、これこそクリスマスに起こったことなのです。
このことを新約聖書のヨハネによる福音書1章14節で「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。」と言っています。
それではなぜ、神様が人となられたのでしょうか。それは私たちの罪を赦し、救ってくださるためです。そのために私たちと同じ立場になり、言葉と行動によって神とはどのようなお方であるか、罪から救われるということがどれほど素晴らしいことかを教えてくださいました。
クリスマスは私たちにこのようなことをしてくださったイエス様がこの世に来られたこと、神が人となられて現れてくださったことをお祝いする時です。それが「その栄光」なのです。栄光などといいますと、本人の素晴らしさがたたえられるような感じがします。もちろんイエス様はたたえられるに価するお方ですが、その本当の栄光は、私たちの罪のために、この世に来てくださった、ここにあります。自分のためではなく、わたしたちのために。このことに気付いた時、私たちはクリスマスをイエス様を礼拝する時として守ることだ出来るのです。