ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉 安美です。
新約聖書に登場する、イエス様の代表的な弟子の一人に、パウロという人がいます。新約聖書の使徒言行録というものは、ほとんどがパウロの働きについて記していると言ってもいいくらいです。また新約聖書に載っている色々な手紙の多くも、パウロが記したものです。そのパウロでさえ、次のように言っています。
《わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。》。あるいは、《なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。》。
つまり、こういう言い方がゆるされるならば、最高のクリスチャンと言ってもいいようなパウロでさえも、もう既に得たとか完全な者になったとかいうわけではないといっているのです。むしろ、何とか捕らえようと努めている、神様がお与えくださる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ると、そう言っているのです。そういうものが、信仰生活なのでしょう。これなら誰でもできることです。完全な者になれとか、立派なクリスチャンになれとか要求されたら、尻込みしてしまうかもしれません。けれども、立派なクリスチャンでなくても、あるいはクリスチャンになりたてでも、いや、これからクリスチャンになってみようという人でも、どんな人でも、神様からいただく賞を得ようと、目標を目指してひたすら走ること、それはできることなのです。