ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉 安美です。
新約聖書のヘブライ人への手紙の12章に、次のような言葉があります。
《すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。》。
ここには、信仰生活というものが、忍耐強く走り抜く競走にたとえらえています。その場合に、色々な重荷があることや絡みついてくる罪があることを、ちゃんと聖書は認めています。そういうものがあるということを認めた上で、そういうものをかなぐり捨てながら、忍耐強く走り抜こう、と勧めているのです。信仰を持ったら何でもすぐに解決するとか、クリスチャンになったら、重荷や罪もいっさいなくなるとかいうわけにはいかないようです。こう言われると、逆にかえって安心するのではないかと思います。
信仰を持ったのになお色々な重荷がある、クリスチャンなのにまだ色々な罪や弱さもある。そういう姿を見て、クリスチャンになっても駄目なのかとか、あるいは何か信仰がおかしいのか、などと考える必要は全くないということです。重荷があったり、絡みついてくる罪があったりするのは、むしろ、信仰生活にとっては当たり前のことなのです。だからこそ、何とかそういうものをかなぐり捨てて、忍耐強く走り抜こうと励ましてくれるわけです。がっかりすることなく、一喜一憂することなく、忍耐強く、走り抜きたいものです。その先には、最高のゴールが待っているのですから。まずはスタートして、そうして走り続けましょう。