道徳の時間に先生が、「命の尊さ」という話をしました。「人間の命は何よりも尊いんだ」。という話をしました。ところが、生徒たちが書いた感想文の中に、こういうのがありました。「命の尊さと言ったって、人間はいろんな動物を殺して食べているんだから、人間よりももっと強い宇宙人がやって来たら、人間は捕まえられて餌にされても文句は言えないじゃないか。」
「今は人間が豚を殺して食べているのだから、もっと強い生物が宇宙から来たら、人間が食べられるようになっても、自然の成り行きだ」どう思いますか? 多くの人は、「そうだ。それは仕方がない」と言います。「強いものが弱いものを征服していくのさ」と言います。たしかに神がいないなら。人間が、ただ偶然生きているのなら、強いものが弱いものを殺すのも自然かもしれません。人間も動物なのだから、弱い人は滅びて強い人が生き残っていくのも自然かもしれません。強い国が弱い国を滅ぼして大きくなっていくのも自然かもしれません。
しかし、聖書は、「人間はちがう」と言っています。強い人にも弱い人にも、赤ちゃんにも、若い人にも、おじいちゃんにもおばあちゃんにも、皆の中に「神のかたち」というものがある、と言っています。
一人の盲人が、イエスのところに来ました。イエスは手を置いて、目を癒しました。「何か見えるか?」と聞くイエスに、「人が見えます。木のように見えます」と答えました。人が見えるのですが、大切な、尊い「人間」には見えていないのです。もう一度イエスは手を置きました。そして初めて、彼は人間が人間に見えるようになりました。
私も同じです。人は見えていても、すべての人が欠け替えのない大切な人間に見えない。だから、日曜日ごとに、イエス様に手を置いて目を開いてもらわなければならないのです。いや、毎日それが必要なのです。それが生涯必要なのです。あなたはどうでしょうか?