お元気にお過ごしですか。東洋宣教教会の小堀昇です。今日もご一緒に神様を見上げて歩んでまいりましょう。
旧約聖書に、エリシャという預言者が仲間と一緒に住む場所を作るために、材木を切り出しに行くという記事があります。ところが、木を切り出している真っ最中に、エリシャの預言者仲間が、斧を水の中に落としてしまうのです。斧を落としてしまった人が叫びました。「ああご主人よ、あれは借り物なのです。」しかし、不思議な事が起こります。エリシャが、その預言者仲間が斧を落としてしまった場所を聞き、そこに枝を切り取って投げると、何と不思議にも、斧は浮かんできたのでした。
この記事に登場してくる斧を落としてしまった人は、「預言者の仲間」としか書いてありません(列王記下6:1)。特に名前の通った人ではないようです。しかし、神様は、例えその人が無名であったとしても、その人のために、良い事をして下さるお方なのです。
私達も時々、神様が私みたいな者の祈りを本当に聞いて下さるのだろうかと、疑ってしまう事があります。自分の人生はあの人に比べれば小さな人生だと自己卑下してしまうことがあるかもしれません。しかし、神様は、全世界にたとえ何十億という人がいたとしても、その一人ひとりを決して忘れる事のないお方であります。
「見よ、わたしはあなたを、わたしの手のひらに刻みつける。あなたの城壁は常にわたしの前にある」(イザヤ49:16)。
神様は、その手のひらに刻みつけるように、私達一人ひとりを覚えていて下さいます。このお方とご一緒に今日も歩んでまいりましょう。