お元気にお過ごしですか、持田浩次です。
ある時、二人の人が祈るために神殿に上っていきました。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人でした。
ファリサイ派の人とは、旧約聖書のおきてをとてもまじめに守る宗教家たちでした。
そのファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈りました。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に2度断食し、全収入の十分の一を献げています。』と祈りました。
もう一人の徴税人とは、税金を集める人ですが、その徴税人は、遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言いました。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』と。そして、二人のお祈りのうち神様が聞かれたのは、徴税人のお祈りでした。
この話は、イエス様がなさったたとえ話ですが、私たちがどのように生きるかを良く教えています。
ファリサイ派の人は、神様よりも他の人と自分を比べていましたが、徴税人は、神様の前にありのままの自分をさらけ出してお祈りしたのです。
神様は、私たちが他の人と比べてまじめかどうかとか、立派かどうかということを見るのではありません。自分をありのままに明け渡して生きることを求めておられます。
今日の聖書の言葉、イエス・キリストの言葉。
「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」ルカ18章14節