いかがお過ごしでしょうか。川越教会の木村香です。
旅に出られたイエス様のところに、その地方の女がやってきました。汚れた霊に取りつかれた幼い娘を救って下さるようにお願いしたのです。しかし、案に相違してイエス様のお答えはつれないものでした。子供のパンを取り上げて子犬に与えるのは良くない、と。自分や子供を子犬にたとえられてこの女の人は怒ったでしょうか、いいえ、そのまま受け入れて、こういいました。主よお言葉の通りです。けれども食卓の下の子犬でも、ご主人の恵みによってパンくずはいただきます、と。イエス様の救いの恵みはわたしのところにもあふれてくるほど大きく豊かだ、と信じました。イエス様の恵みを大きく豊かに見積もった、その秤に従って、イエス様は彼女に恵みを下さいました。
湖を渡るのに漕ぎ悩んでいた弟子たちは、水の上を歩いてこられるイエス様を見て、悲鳴を上げました。そんなことできるわけがない、と見積もった彼らは、イエス様にお会いして、恐れたのです。イエス様にはできる、して下さる、と信じた女はそのとおりの祝福をいただきました。
あなたは、イエス様をどんなに見積もっていますか。イエス様がこの女の家に行かれたとも、女が娘についていろいろ説明したとも書かれていません。そんな必要はないのです。イエス様のお言葉によって娘はいやされました。時間、距離の隔たりは、イエス様には全く問題ではないのです。ただイエス様が救って下さるという信仰によって恵みが与えられるのです。