いかがお過ごしでしょうか。川越教会の木村香です。
弟子たちの舟は逆風に悩まされていました。このガリラヤ湖は小さな湖です。東から西へ横切ったところで10キロほどです。それくらいのところを、以前は専門の漁師であったペトロたちが漕ぎ悩んでいるのです。夕方から夜が明けるころまで漕いでいたのですから一晩中ということになります。いつも共にいて下さるイエス様がいらっしゃらない。この前ガリラヤ湖を渡ったときは嵐に出会ったけれどイエス様が静めて下さった。今はいてくださらない。
もしイエス様が、弟子たちの目に見える範囲、手でさわれるところにおられる場合だけしか力になって下さらないのなら、それは救い主でも何でもありません。そうだとすれば、私たちはどうなるでしょう。イエス様は私たちの目には見えません。直接手にさわることもできません。どうして救いを期待できるでしょう。しかし、イエス様は世界を造り、自然の法則をお定めになった方です。時間や空間の隔たりに縛られるお方ではありません。今日現在、たった今も、変わることなく私たちを守っていて下さいます。弟子たちは水の上を歩いて助けに来てくださったイエス様を見て恐れました、幽霊だ。これくらいならできる、これはイエス様でも無理だ。しかし本当に恐るべきは、イエス様でも無理だというような、堅く閉じた自分の心なのです。柔らかな心、素直な目で、示されている救い主イエス様をそのまままっすぐに受け入れたいと思うのです。