ごきげんいかがですか。江古田教会の風間義信です。
人間は感情の動物と言われ、絶えず喜んだり、悲しんだりと心が揺れ動きます。その中でも大きなエネルギーとなって外に出てしまうのが、怒りではないでしょうか。その最も典型的な例がイエス・キリストの十字架です。
なぜ人々の怒りを買ったのかといえば、イエス・キリストが自分のことを神と等しい者、神そのものであると言われたからです。聖書の舞台となったところで神は唯一、絶対的な存在であり、人とは全く違う無限、永遠なるお方です。そのような神が限られた人間として現れたこと、しかも、自分でそうだと触れ回ることなどは決して許されないことだったのです。
しかし、この感情こそ、人間の罪の根深さを表しているものです。イエス・キリストが現れたのは、何よりも神の側の謙遜さから出たものです。そしてただ現れただけでなく、人間の心の奥深くにある罪を深くえぐり出しましたので怒りが爆発しました。
だからこそ、イエス・キリストがその怒りをしっかりと担い、十字架におかかりになったということは、本当に私たちを生かすためだったのです。怒りに支配されたところから解放され、一人一人に与えられた豊かな感情を表現していってもらいたい。そのために神と等しい者があなたのためにも現れてくださったのです。