ご機嫌いかがですか。東川口教会の櫻井です。
旧約聖書には「弔いの家に行くのは/酒宴の家に行くのにまさる」という言葉があります。誰でもお葬式にでるよりは、結婚式のような楽しい宴会に出席することを好むのではないでしょうか。ところが聖書はむしろ、葬儀に出席しなさいと勧めるのです。なぜなら、葬儀に出席する人はそこで自分も同じように死ぬ運命にあることを思い出すことができるからです。私たちは普段、自分の死とは無関係に、またできるだけそのことを考えないように生活しています。しかし、死を覚えることのできない人は、結局、今のときの大切さを忘れてしまいます。そしてせっかくの人生を無意味なことに使ってしまうのです。
新約聖書のヨハネの黙示録はこの世界にはやがて終わりが来ることを私たちに教えています。私たちが自分の人生の最後を意識して生きることが大切なように、黙示録は私たちにこの世の終わりを意識して生きることを勧めています。そうすれば私たちが今、しなければらないことが分かってくるからです。
もし、あなたが今、人生で何をすべきかを悩んでいるならば、是非、教会に行って、この黙示録を学んでみてください。黙示録は今日を生きようとする私たちの人生で大切なことが何かを教えてくれる書物だからです。
聖書の言葉
「見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。」
ヨハネの黙示録22章12節です。