ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
以前新聞で、ドイツでの経験を語られた主婦の方の投書を読んだことがあります。田舎のことなのでしょうか、無人の駅でのことです。
誰も見ていないから、中には切符を買わないで乗ってしまう人もいるんじゃないかしらと、一緒にいたドイツ人に言ったそうです。そうしたら即座に、そんな人はいません。神様が見ているからと、そう言われてしまったということでした。
神様が見ている、これが宗教なんだと思います。もちろん、神様が見ているから悪いことをしない、そういう消極的な面だけではありません。神様がちゃんと見守っていてくださる、そういうことでしょう。
実は、最も宗教的な行いの中にも、神様が見ていることを忘れてしまうことさえあります。イエス様も、聖書のマタイ福音書の中にある有名な「山上の説教」で、教えられたことがあります。
人に施しをするときにも、人から褒められたいと思ってわざと人目につくように行うことがある。あるいは、お祈りをするときでさえ、人に見せようとして祈ることがある。宗教的な断食をするときも、人に見てもらおうと、いかにも断食していますよという顔つきをする。そういう偽善に注意しなさいと。むしろ、隠れたことを見ておられる神様がちゃんと報いてくださるから、人目ではなく、神様の目を意識するようにと。
神様が見ておられる、それを忘れるとき、宗教行事でも世俗的になってしまうのでしょう。イエス様はおっしゃいました。
「隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」