いかがお過ごしでいらっしゃいますか。ラジオ牧師の山下正雄です。
ヨハネによる福音書の中に、イエス・キリストが一人のサマリアの女性と会話された記録が残っています。当時のユダヤでは、サマリア人と話をする者は誰もいませんでした。そのことだけでも、イエスの行動は当時のユダヤの社会では容認しがたいものであったはずです。その上、この女性の素性を知れば、なおさら親しげに話をしようなどとは思う者はいなかったことでしょう。
というのも、このサマリアの女性は過去に5人の夫と暮らし、今また夫ではない別の男性と暮らしているからです。聖書には詳しい事情が記されていませんから、この女性が過去に5人の男性とどのようないきさつで別れることになったのか、知る術もありません。相次いで夫を亡くしたのかもしれません。夫の気まぐれで、結婚しては追い出されていたのかもしれません。あるいは、この女性はどんな男性にも心から満足できず、満たされたい気持ちでいっぱいだったのかもしれません。人々は奇異の目でこの女性を見たことでしょう。
しかし、この女性の人生にどんな事情があったのであれ、イエスが目を留められたのは、この女性の魂の渇きでした。この魂の渇きを癒すためにこそ、イエスはわたしたちのもとへ来てくださったのです。
きょうのみ言葉・・・「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」ヨハネによる福音書4章13節14節