お元気ですか。新座志木教会の弓矢健児です。
よく、信仰というのは、個人個人の心の問題だ、と言われることがあります。何を信じようと、それぞれの心が満たされるのならそれで良いのだと言うのです。
しかし、本当にそうなのでしょうか。確かに信仰は、私たちの心と深く関係しています。新約聖書ローマの信徒への手紙10章10節が「実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表わして救われるのです」と、教えているように、私たちは心で信じることが大切です。けれども問題は、私たちの心が何を信じるのか、ということなのです。
わたしたち人間は多くの場合、自分の心を満足させるための願望を心に投影し、それをあたかも信仰であると考えていることがあります。けれども、そのような信仰は人間の心が生み出した幻です。そのような信仰に、人間を救う力などありません。
しかし、聖書が教える信仰は違います。それは人間の心が生み出した願望でも、個人的な心の満足でもありません。そうではなく、主イエス・キリストの御言葉を通して聖霊の神御自身が、私たちの心に与えてくださる恵みの現実、それがキリスト教信仰なのです。
最後にローマの信徒への手紙10章17節をお読みします。「実に信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」