お元気ですか。新座志木教会の弓矢健児です。
洗礼を受けておられない求道者の方から、よく質問されることの1つに、「どうしたら、信仰を持つことができるようになるのでしょうか」という質問があります。簡単なようでなかなか難しい質問です。
確かにこの世の知識や技術であるならば、一生懸命に勉強したり、練習をすれば習得できます。そこでは、その人がどれだけ努力をしたのかが問われます。しかし、わたしたちの救い主であるイエス・キリストを信じる信仰は、人間の努力によって得られるものではありません。もちろん聖書や教理を学ぶことは大切です。しかし、そうした学びの結果として信仰を習得する、というのではないのです。
新約聖書コリントの信徒への手紙1の12章3節は「聖霊によらなければ、誰もイエスは主であるとは言えない」と、教えています。つまりイエス・キリストを神であり、わたしの救い主であると信じる信仰は、究極的には聖霊の神によってのみ与えられるものなのです。
主イエスへの信仰によって、私たちは罪赦され、救いの中に入れられます。しかし、実はその信仰さえも、神は恵みとして、わたしたちにお与えくださっているのです。