ごきげんいかがですか。東川口教会の櫻井です。
小学生の頃、バス旅行に出発する前の晩になると、母は私のために旅行の荷物を準備してくれました。ところがもともと心配性の母は「もしも寒くなったら・・・、もしも雨がふったら・・・」と考えては、私の旅行の荷物を増やしていくのです。そのために、私はいつも大きな荷物を持って旅行に出かけることになりました。遺伝なのか、教育のせいなのでしょうか。今でも私は自分で旅行の荷物を作ろうとすると、それは必ず大きなものになってしまいます。これは母の心配性を私も受け継いでいる証拠です。
こんな心配性の私でも、「何も準備する必要ない」と安心している旅行があるのです。それは私の信仰の旅路、私がこの生涯を歩み通して、やがて神様の待つ天国に行くまでの旅行です。もちろん、その旅行の途中で私の前に何が起こるのか私には分かりません。でも、私はこの旅行で自分のために何かを準備したり、心配する必要がないと考えているのです。なぜなら、この旅行では救い主イエス・キリストが最後まで私を導いてくださるからなのです。イエス様はどんなことがあっても、必ず私を助けて天国へ連れて行ってくださる方なのです。ですから私がいくら心配性でも、この旅行だけは準備の必要がないと安心しているのです。
聖書の言葉「実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります」。ローマの信徒への手紙10章10〜11節