ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
旧約聖書の中にこんな言葉があります。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時」その後も続いています。たとえば「泣く時、笑う時、嘆く時、踊る時」あるいは「求める時、失う時」まだ続きます。確かに人生には色々な時があります。そして私たちは、できれば泣く時や嘆く時や失う時などは、避けたい、いつも幸せでいたい、そのように願うものです。
でも、泣く時がなく、いつも笑う時だけ、嘆く時はなく、いつも踊る時だけ、そんなふうに考えていくと、何かちょっと人生の深みといいましょうか、あるいは豊かさといいましょうか、そういうものが失われてしまうように感じます。音楽のメロディーも、単調な音の連続よりも、色々な音が並んで、ある時は高い音、ある時は低い音、あるときは長く、あるときは短く、そういうふうになって初めて音全体が美しいメロディーになっているのではないでしょうか。でも、どうしようもないと思って嘆き悲しんでいる場合には、こんな言い方は無責任に聞こえるかもしれません。
けれども、聖書の中にもう一つ、今度は新約聖書ですが、こんな言葉もあります。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」。つまり、神様を信じて、神様にお従いしていくならば、万事が、すべてのことが、益となるように共に働くというのです。神様が、すべてのこと、すべての時を、益となるようにしてくださるわけです。そして、喜びも悲しみもすべてを用いて、本当に美しい人生をかなでさせてくださるのです。