お元気ですか。横浜中央教会の立石章三です。
先日私どもの教会のあるご婦人が亡くなられ、教会で葬儀をしました。この方はクリスチャンで、まだ51才でしたが、癌のために苦しい闘病生活を送っておられました。私たちは皆悲しみでいっぱいだったのですが、その方のご主人が声を上げて泣いておられ、私たちも貰い泣きしてしまいました。そのご主人はクリスチャンではなかったのですが、棺の中に横たわった彼女にすがってこう言われたのです。「俺も洗礼を受けて、お前の所に行きたい」。
私は17年間牧師をやっていますが、この時はっとさせられました。キリスト教信仰の何も分からなくても、愛する者のいる所に私も一緒に行きたい。こういう素朴な信仰もあるのです。もちろんこの方はこれから聖書を読んで、イエス・キリストと出会い、自分の罪を認め、悔い改めの必要なことを知らなければならないでしょう。しかし信仰の出発点、信仰の動機、これがとても重要なのです。
人々が初めて教会に来られる動機には、様々なものがあります。信仰を、知識優先では考えてはいけないのですね。天国にいる愛する者と一緒にいたい。こんな動機でキリスト教信仰入門が始まる。私はある感動をもってこの言葉を聞いていました。
私たちは、愛するイエス様に天国で会いたい、顔と顔とを合わせて、はっきりとこの目で見たい。この信仰の喜びをキリスト教は提供してくれます。この喜びをもっともっと皆さんにお伝えしたいのです。あなたには、友人や家族にクリスチャンの方がおられるでしょうか。あなたも洗礼を受けなければ、その方々とあなたの行く道は違ってしまうのです。