お元気ですか。千城台教会の高瀬一夫です。
旧約聖書から神様の喜ばれることについて学びましょう。
エゼキエル書33章17〜20節「それなのに、あなたの同朋は言っている。『主の道は正しくない』と。しかし正しくないのは彼らの道である。正しい人でも、正しさから離れて不正を行うなら、その不正のゆえに彼は死ぬ。
また、悪人でも、悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、それゆえに彼は生きる。それなのに、お前たちは言っている。『主の道は正しくない』と。イスラエルの家よ、わたしは人をそれぞれの道に従って裁く。」
この個所はほとんどの人が「善行善果、悪行悪果、」と理解しています。言い換えると、良い事をする人に、神は良い報いをくださり、悪い事をする人には厳しい裁きを下されると。
でも私は聖書は神様からのラブレターと信じていますので、ここで神様はいかなる悪人も悔い改めるなら良い報いを下さると教えていると信じています。
と申しますのはちょっと前の11節に「彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。」と教えられているからです。
神は裁きの神ではなく、赦しの神だからです。神は悔い改めるものを喜び生きるものにしてくださいます。