ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
私は、教会付属の幼稚園に通っていたので、そこで聖書のお話をときどき聞くことがありました。けれども、教会にきちんと通い出したのは高校生になってからです。聖書の教えている神様についてちゃんと分かるようになったのは、それからということになります。それまでは、親の言う言葉とか、世の中で色々と言われていることとか、そういうことから神様というのをイメージしていました。皆さんは、どうでしょうか。神様というお方を、どういうふうにイメージされるでしょうか。
教会に通うようになって、また聖書を学ぶようになって、そのイメージは、変えられていきました。実はそれは、今でも続いています。聖書を学ぶほど、「ああ、神様というのは、こういうお方だったのだ。」と。そしてそれは、楽しい経験です。
なぜなら、聖書もこう言っています。「人の知識をはるかに越えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。」
エフェソの信徒への手紙の3章19節です。
人の知識をはるかに越える神様の愛、イエス・キリストの愛、それを聖書を通して、また信仰生活を通して、知っていくようになるわけです。とりわけ驚くべき発見は、そういう人の知識をはるかに越える愛で、神様は自分を愛してくださっているということです。これは、世々のクリスチャンが、そして世界中のクリスチャンが、発見してきたことです。聖書を通して、あなたも発見できないことはありません。
神様はこんなものだとか、自分のことはあまり顧みていないとか、勝手にイメージしていないでしょうか。聖書を通してこそ、発見してください。