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ゼファニヤ1章
「裁きを思い同時に救いを覚える」


その日は憤りの日
苦しみと悩みの日、荒廃と滅亡の日
闇と暗黒の日、雲と濃霧の日である。
(ゼファニヤ 1章15節)

 ゼファニヤは、ヨシヤ王という善い王の治世に登場しながらも、厳しい裁きを語った預言者です。そのため、ゼファニヤが活動したのは、本当はヨシヤ王の宗教改革が行われる前か、あるいは後だったのではないかと考えられることがあります。けれども聖書は「ヨシヤ王の時代に」とはっきり語っています。そして、そのような良い時代にゼファニヤが裁きを語ったという事実の中に、大きな意味があると思われます。

 善い王とはいえど、あくまで王は王であり神ではありません。そのことを告げるかのように、ヨシヤ王は突如あっけなく戦死してしまいます。そして時代はバビロン捕囚という谷底へと向かうのです。目に見える現実の先を見通す目こそ、神の言葉を預かる者が持ちうる視野です。

 15節は、そのゼファニヤの視野をさらに超えたかたちで、主イエス・キリストの十字架において成就しました。15節は、果たしてこれほどの闇と絶望が起こりうるのかと思わせられる御言葉です。まさに十字架の時、明るい昼間だったはずの世界が突如暗闇に包まれ、罪の苦しみ悩みが、神の憤りと共に重く主イエスにのしかかるという裁きがなされました。しかし、その裁きこそが救いの入口でもあり、罪の赦しと復活の命への道だったのです。

 

 【祈り】

 私たちは、良き時代にこそ裁きを、闇の中にこそ光を見て歩みます。

吉岡 契典(神戸改革派神学校)

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