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民数記31章
「「皆殺し」をどのように受けとめるか」


彼らは、主がモーセに命じられたとおり、ミディアン人と戦い、男子を皆殺しにした。
(民数記 31章7節)

 ここで「皆殺し」が行われた背景には、ミディアン人がイスラエルの民を誘惑して罪に陥れ、神の罰を招き、多くのイスラエルの民を死に至らせた事件がありました(25章)。注解者によって解釈は一様ではありませんが、ここでは、本当に「皆殺し」にすることが主の御心にかなっていた、との前提でお話しします。

 「皆殺し」というのは、武器を捨てて投降し、命乞いをする者がいても容赦なく殺す、という意味の言葉です。そのような殺戮行為は現代の戦時国際法に照らせば、明らかに戦争犯罪に該当します。もし現代において、どこかの国が大義を掲げて同様のことを行っているなら、それは国際法違反であるのみならず、主の御前にも重罪を犯しているのです。旧約聖書は、旧約時代の文脈を読み、新約の光のもとで解釈しなければ、キリスト教の解釈にはなりません。

 ここで「皆殺し」という言葉からは、ただ一つの厳粛な真実を読み取るべきです。それは、いかに反省し謝罪して赦しを乞い求める態度を人が示したとしても、神の御前に犯した罪がそれだけで赦されるものでは決してない、ということです。「皆殺し」という言葉は私たちの心に罪への戦慄を引き起し、イエス・キリストの恵みの大きさに圧倒され、その感謝を新たに深くさせるものです。

 

 【祈り】

 世界のすべての信じる者のために贖い主をお与えくださり感謝します。

石本 耕一(四国中会)

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