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レビ17章
「血の中の命による罪の贖い」


生き物の命は血の中にあるからである。わたしが血をあなたたちに与えたのは、祭壇の上であなたたちの命の贖いの儀式をするためである。
(レビ 17章11節)

 神を神として礼拝するため、そして、神の民としての聖さを保つための教えが17章から続きます。

 まず、血が何なのか。命が血の中にあることが教えられます。その命は神が与えられるものです。その命を失い、神との交わりをなくすならば、その回復のために血が必要となります。贖罪の献げ物として、犠牲のいけにえの血が祭壇に注がれて、代わりに民は清められます。しかも、この命の血による贖いの儀式は、神が与えられた手段です。なぜなら、罪の赦しは罪のない犠牲の血が流されなければならない、という神のおごそかな真理にいつも気付くように、神は望んでおられるからです。

 ヘブライ人への手紙9章は次のように言います。「雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。…永遠の〝霊〟によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。…血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです」(12、14、22節)。このキリストこそ、「二度目には…御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです」(同28節)。

 

 【祈り】

 私たちのために十字架に架かり、流された命の血を感謝します。

小川 洋(高松教会)

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