「わが主なる神よ、預言者たちは彼らに向かって言っています。『…わたしは確かな平和を、このところでお前たちに与える』と。」 (エレミヤ 14章13節) 神に背くイスラエルの民は、真実の神の言葉ではなく、聞いて心地よい言葉にばかり耳を傾けていました。 偽預言者たちは、「お前たちは剣を見ることはなく、飢饉がお前たちに臨むこともない。わたしは確かな平和を、このところでお前たちに与える」(13節)と言って、神の言葉をもっともらしく語っていたのです。 確かにこのようなことを、神の言葉として語ってもらえたら、そのときは明るい気持ちになり、将来に期待がもてるのかもしれません。けれども、これは決して主が語る希望ではなく、聞いて心地よくなってもらうだけの偽りの預言でした。結局のところ、見せかけの希望は人びとを神から遠ざけるだけだったのです。 それゆえ、偽預言者の言葉はその身にはね返り、「飢饉と剣に遭い、葬る者もなくエルサレムの巷に投げ捨てられる」(16節)のです。 真実の言葉に耳を傾けなければなりません。神の言葉は、人を永遠の滅びから救い出すために語られます。罪を指摘されると、そのときには痛みを伴いますが、その罪の痛みが大きいほど、神の恵みがいかに大きなものであるかがわかります。 神が預言者を通して語る真実の御言葉のうちに、人を生かす命があります。 【祈り】 神よ、あなたの御言葉に対してわたしの心を開き、救いの恵みを注いでください。 金原 堅二(滋賀摂理教会)
神に背くイスラエルの民は、真実の神の言葉ではなく、聞いて心地よい言葉にばかり耳を傾けていました。
偽預言者たちは、「お前たちは剣を見ることはなく、飢饉がお前たちに臨むこともない。わたしは確かな平和を、このところでお前たちに与える」(13節)と言って、神の言葉をもっともらしく語っていたのです。
確かにこのようなことを、神の言葉として語ってもらえたら、そのときは明るい気持ちになり、将来に期待がもてるのかもしれません。けれども、これは決して主が語る希望ではなく、聞いて心地よくなってもらうだけの偽りの預言でした。結局のところ、見せかけの希望は人びとを神から遠ざけるだけだったのです。
それゆえ、偽預言者の言葉はその身にはね返り、「飢饉と剣に遭い、葬る者もなくエルサレムの巷に投げ捨てられる」(16節)のです。
真実の言葉に耳を傾けなければなりません。神の言葉は、人を永遠の滅びから救い出すために語られます。罪を指摘されると、そのときには痛みを伴いますが、その罪の痛みが大きいほど、神の恵みがいかに大きなものであるかがわかります。
神が預言者を通して語る真実の御言葉のうちに、人を生かす命があります。
【祈り】
神よ、あなたの御言葉に対してわたしの心を開き、救いの恵みを注いでください。