月刊誌リジョイス 聖書日課 2021年10月16日(土)

コヘレト11章 キリスト者の倫理と楽しさ

  

妊婦の胎内で霊や骨組がどの様になるのかも分からないのに、すべてのことを成し遂げられる神の業が分かるわけはない。(コヘレト11:5)

 私たち人間には「すべてのことを成し遂げられる神の業」は分からない、という思いは、私たちをどんな生活へと導くのでしょうか。どうせ分からないのだからという、いい加減で無責任な生活態度に導くのではありません。

 神の業は分からないという思い。それは、「実を結ぶのはあれかこれか、それとも両方なのか、分からないのだから」(6節)、「朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな」(同)という、一つ一つの行いをできるだけ大切にし、一つ一つの行いがどんな実を結ぶか、神への期待を込めてすべてを行うという充実した生活態度へと導きます。

 それは、「光は快く、太陽を見るのは楽しい」(7節)という、何気ない日常の「楽しさ」を発見することへも通じていきます。

 さらにそれは、「喜びに満ちているときにも、暗い日々も多くあろうことを忘れないように」(8節)という知恵をも伴う、堅実で確かな生活態度ともなることでしょう。

 それこそ、心にかなう道を行きつつ、すべてにおいて神との関係を見失うことのない、キリスト者の自由な生き方です。

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