月刊誌リジョイス 聖書日課 2021年10月 9日(土)

コヘレト3章 神が与えられた「時」を思う

  

何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。(コヘレト3:1)

 すべて空しいとしか思われなかった人生の一つ一つの「時」を、神が与えられた「時」として捉え直してみましょう。そのとき、「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられ」たことに気付くことができるかもしれません(11節)。すべては「時宜にかなう」ものだという、神への大胆な同意によって、空しかったはずの人生の見え方が違ってきます。

 今やコヘレトの口から肯定的な認識が語られ始めます。「人間にとって最も幸福なのは、自分の業によって楽しみを得ることだとわたしは悟った。それが人間にふさわしい分である」(22節)。その根底にあるのは「人だれもが飲み食いし、その労苦によって満足するのは神の賜物だ」という認識です(13節)。

 すでに2章24節で予感されていた認識が、ここのところでいっそう強い確信になりました。それは「わたしは知った、すべて神の業は永遠に不変であり、付け加えることも除くことも許されない」、そして「神は人間が神を畏れ敬うように定められたのだ」という高らかな確信です(14節)。

Copyright (C) 2021 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.