月刊誌リジョイス 聖書日課 2021年7月29日(木)

詩編94編 神が助けとなってくださる

  

主がわたしの助けとなってくださらなければ
わたしの魂は沈黙の中に伏していたでしょう。
「足がよろめく」とわたしが言ったとき
主よ、あなたの慈しみが支えてくれました。
わたしの胸が思い煩いに占められたとき
あなたの慰めが
わたしの魂の楽しみとなりました。(詩編94:17-19)

 この詩は、基本的に「報復を求める祈り」です。「こんなものがあるなんて」と思われた方もいらっしゃるでしょう。新約聖書の倫理からすると抵抗感が生じますが、こう考えてみると良いのではないかと思います。苦悶しつつもこう祈り、神に委ねることで自ら手出ししないのだ、と。

 神に逆らう人たちは傲慢で人の道に反しています。何よりも神をあなどります。「主は見ていない。ヤコブの神は気づくことがない」と。しかし神はおっしゃいます。「耳を植えた方に聞こえないとでもいうのか。目を造った方に見えないとでもいうのか」。

 神が何もしていないと思っても、私たちにそう見えるだけの話です。聖書を通して、神がすべてに時を定めておられ、お決めになった時に実行なさることが示されています。これを知ることが「知恵」なのです。

 この知恵を持つことは、私たちに慰めを与えます。神は私たちに慈しみと恵みを与える時をもお持ちだからです。それがいつなのかは分かりませんが、神が助けを与えようとする時、まさしくそのことが起こります。

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