月刊誌リジョイス 聖書日課 2021年5月10日(月)

ヨブ15章 どうして、人が清くありえよう

  

どうして、人が清くありえよう。
どうして、女から生まれた者が
正しくありえよう。
神は聖なる人々をも信頼なさらず
天すら、神の目には清くない。(ヨブ15:14-15)

 ヨブ記15章から21章では、ヨブと3人の友人の議論の2回目が行われます。15章では、エリファズが「どうして、人が清くありえよう」と主張して、ヨブに答えます。それは、ヨブが神の御前に自分の正しさを言い立てているように思えたからでしょう。

 人間は誰しも罪人であるというエリファズの主張は、聖書全体が語る真理です。ヨブ自身、自分が神の御前に罪深く汚れた者であることを認めています。その上で、それなのに何故神は自分に清さ、正しさを要求されるのだろうかと訴えました。

 このときのエリファズは、自分も同じ罪人であることを顧みず、ヨブに罪を認めさせるために「人間は誰も罪人である」と語っているように思われます。しかし、自分が罪人であることを棚に上げて人の罪を指摘することはできません。そして、主イエスは、そのような罪人のわたしに代わって十字架にお架かりくださり、わたしの罪を赦してくださったのです。

 主イエスは私たち罪人の苦しみと惨めさを共に苦しんでくださるお方です。主イエスの救いのリアリティを私たちはすでに体験しています。

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