月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年11月21日(土)

ゼカリヤ7章 憐れみ深くあれ

  

そのとき、主の言葉がゼカリヤに臨んだ。
「万軍の主はこう言われる。
正義と真理に基づいて裁き
互いにいたわり合い、憐れみ深くあり
やもめ、みなしご
寄留者、貧しい者らを虐げず
互いに災いを心にたくらんではならない。」(ゼカリヤ7:8-10)

 主は究極的には、私たち信仰者のどこをご覧になるのでしょうか。外的な行為でしょうか。それとも内なる心でしょうか。

 時は捕囚帰還後、神殿再建に取り組んでいるところでした。しかしながら、民たちは神殿の外的な再建に心を奪われ、その宗教生活においても儀式化や形骸化がはびこっていました。彼らは真実な礼拝者とはどのようなものなのか、そして、とりわけ主がその信仰者のどこをご覧になられるのかということを忘れてしまっていました。

 主は究極的には、信仰者のどこをご覧になられるのか。それはその内なる心です。主は特にここで私たちが隣人に対して「憐れみ深い」心を持つように、隣人に慈しみ深い心を持つように教えています。そして、もう少し具体的には、私たちが「互いにいたわり合って」、互いに支え合って生きるように勧めています。

 私たちは、互いにこの上なく弱く、貧しい存在です。私たちはそのことを覚えて、お互いにいたわり合って生き、支え合って生きる者とされたいと思います。

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