月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年11月17日(火)

ゼカリヤ3章 しるしとなるべき人々

  

「大祭司ヨシュアよ
あなたの前に座す同僚たちと共に聞け。
あなたたちはしるしとなるべき人々である。」(ゼカリヤ3:8)

 「私たちの教会の先生はいい先生なんだけれど、もう少しこうあってほしい、もう少しあぁあってほしい…」。これは、誰の心にも浮かびうる声なのではないかと思います。もちろん牧師は、少しでも主に喜ばれる働きができるように、自らをよりよく整え、自らの成長のために日々祈らなければならないでしょう。

 けれども一方で、もし私たちが教会でいつも牧師に目を向け、いつも牧師に心を向けていくようになったらどうなるでしょう。その時、教会は希望を失い、力を失っていくでしょう。いつの時代にも牧師自身に希望が存在するのではなく、力が存在するのでもないからです。

 では、私たちの永遠の希望はどこにあるのでしょう。それはいつの時代にも主の内にあるのです。私たちの力の源はどこにあるのでしょう。それはいつの時代にも主の内にあるのです。教会の牧師は弱く、力ないかもしれない。その賜物に不足があるかもしれない。けれども、教会を牧しておられる主には永遠に尽きることのない御力と、恵みが満ち溢れているのです。

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