月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年10月30日(金)

ローマ7章7-25節 罪の自覚を鈍らせてはならない

  

わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。(ローマ7:23-24)

 「神の義」を発見したルターが、宗教改革に立ち上がることになったのは、当時の教会の「救いの理論」に疑問を感じたからです。教会は、洗礼後に犯した罪は「悔悛の秘跡」によって赦されるとしていました。この赦しは(1)心で罪を悔やむこと、(2)口によるざんげ、(3)司祭による赦しの宣言、(4)行いによる償いを要素としていました。

 すなわち、司祭による赦免宣言によって、その罪責は赦されるのですが、なお罪の罰を生存中もしくは煉獄において償うことが必要だとされていました。この償いを免ずるのが「贖宥」です。具体的には、教会が販売する「贖宥状」を購入することによって、果たすべき償いが免ぜられるとされていました。

 ルターは、自らの教区民がこの贖宥状を買い求めているのを知りました。彼がなにより危惧したのは、彼らが贖宥によって誤った安心感を得ていることでした。

 ルターは、贖宥状が、人びとの真実な悔い改めを阻害していると感じました。罪意識を鈍らせていることを知りました。そこで討論のために書いたのが「95箇条の提題」です。

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