月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年10月28日(水)

ローマ1章1-17節 罪の問題の解決としての「神の義」の発見

  

わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。(ローマ1:16-17)

 ルターの福音主義的回心は「塔の体験」と呼ばれます。修道院の塔の中で起こったからです。

 ルターはローマ書の研究をしていましたが、「神の義」という表現につまずきを覚えていました。なぜなら、「神の義」とは神の正しさのことで、神が罪人を罰する義と理解していたからです。それゆえ、罰をのがれるために人間は、善を行わなければならないとされていました。けれども、どんなに善行を積んでも、ルターの良心に平安は与えられませんでした。

 ルターは1章17節の御言葉を熟考しました。そして、聖書が教えている「神の義」の意味を発見しました。つまり、ここで言う「神の義」は、神がまったくの恵みによって私たちを義としてくださる「義」であり、人間は救われるために、その義を「受動的に」受け入れればよいのだと分かったのです。

 人間が能動的に獲得する義ではなく、神が与えてくださる「受動的な義」です。この受け入れが信仰です。それゆえ人は、信仰によって神の義を受け入れて救われるのです。これが福音です。ルターはそれを発見したのです。

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