月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年10月 1日(木)

アモス8章 主の御言葉の飢饉

  

見よ、その日が来ればと
主なる神は言われる。
わたしは大地に飢えを送る。
それはパンに飢えることでもなく
水に渇くことでもなく
主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。
人々は海から海へと巡り
北から東へとよろめき歩いて
主の言葉を探し求めるが
見いだすことはできない。(アモス8:11-12)

 主の幻は続きます。今度は一籠の夏の果物(カイツ)の幻です。語呂合わせのように、主は、「わが民イスラエルの最後(ケーツ)が来た」ということをお示しになりたかったのです。

 イスラエルの人びとは、弱者を虐げ、不正な商売を行い、自らの腹を貪欲で満たそうとします。そのようなイスラエルをご覧になり、主は「もはや、見過ごしにすることはできない」とおっしゃいます。そして、「その日が来る」と。

 「その日」とは、「裁きの日」です。それは、「飢えを送る」という裁きです。そして、その「飢え」とは、パンに飢えることでも、水に渇くことでもなく、主の言葉を聞くことのできない「飢え」だ、というのです。

 今、私たちはどうでしょう。パウロは言います。「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある」(ロマ10章8節)と。その言葉とは、信仰の言葉、福音の言葉で、身近にいつもあるというのです。

 主イエスが私たちの罪のために十字架にかかり、死んで、3日目によみがえられた、という福音の言葉を、主の日ごとに聞くことが許されている幸いを思います。霊的に健全な「飢え渇き」をもって、福音の言葉を求め続けたいものです。

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