月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年9月16日(水)

エレミヤ50章 神の民の回復

  

イスラエルは獅子に追われてちりぢりになった羊。…今、わたしはバビロンの王とその国を罰する。そして、イスラエルを元の牧場に連れ戻す。…
その日、その時には、と主は言われる。イスラエルの咎を探しても見当たらず、ユダの罪も見いだされない。わたしが、生き残らせる人々の罪を赦すからである。(エレミヤ50:17-20)

 イスラエルを苦しめた国々の中でも決定的な打撃を与えたのはバビロンです。しかし、そのバビロンも神の裁きを受けます。バビロンはペルシアの攻撃を受けることになります。バビロンの滅亡は、イスラエルにとっては解放の日でもあります。主の嗣業の地であるイスラエルを略奪し喜び楽しんでいたバビロンは恥を受け、すべてが廃墟となります。

 かつて神は、悪の道を離れない民への裁きとして、「これらの民はバビロンの王に70年の間仕える」と言われましたが、続けて「70年が終わると、わたしは、バビロンの王とその民…をその罪のゆえに罰する」と約束されました(25章11、12節)。捕囚となっていた民は故郷に帰ることになり、散らされた羊であるイスラエルは再び元の牧場に連れ戻されます。さらに、神の憐れみにより、イスラエルの咎もユダの罪も主の前では数えられず、完全な赦しが与えられます。

 同様に、私たちの罪も咎も、御子イエス・キリストの贖いによって、主の前に赦されます。壮大な歴史に刻まれた神の憐れみは、小さな私たち一人ひとりにも注がれているのです。

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