月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年9月 7日(月)

マタイ5章7節 憐れみ深い人々は、幸いである

  

「憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。」(マタイ5:7)

 詩編が「主は憐れみ深く、恵みに富み、忍耐強く、慈しみは大きい」(103編8節)と語る通り、主なる神こそ憐れみ深いお方です。その憐れみは御子イエス・キリストにおいて示されました。主イエスが両手を大きく広げて十字架につけられたように、御父は両手を大きく広げて、神に背いていた私たちを迎え入れてくださいます。神の憐れみは、敵をも愛して、悪人にも善人にも太陽を昇らせ雨を降らせるほどなのです。

 この憐れみ深さのゆえに、私たちは罪の赦しを求めて祈ることができます。必要のすべてを訴えて祈ることができます。私たちの人生はすべて神の憐れみを土台にしているのだと言えるでしょう。

 その主なる神が、主イエスの良きサマリア人のたとえを通しておっしゃいます。「行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカ10章37節)。

 私たち自身に憐れみはありません。けれども、主なる神がご自身の憐れみによって私たちを憐れみ深い者としてくださいます。私たちは、互いに憐れむことによってこそ、他者を命に生かし、自分も真実に命に生かされるのではないでしょうか。

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