月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年9月 3日(木)

マタイ5章4節 悲しむ人々は、幸いである

  

「悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。」(マタイ5:4)

 悲しみなどないほうがよい、喜んでいたいと、誰でも思うものでしょう。これも、いったいなぜなのかと思わせられる、不思議な言葉です。

 一つには、悲しみを経験してこそ分かることがあるということでしょう。たとえば、悲しみを通して友情や愛情の大切さに気づかされ、人は一人で生きるのではないと教えられます。悲しみによって人は成長させられるのです。

 もう一つ、人は誠実に真実に生きようとするとき、いつも心の中に悲しみを抱えることになります。以前、電車で高齢の方に席を譲ろうとして立ったとき、別の方がさっと座ってしまい、譲りたかった方に譲れなかったことがあります。そのように、善意でしたことが報われないことが多いのです。けれども、これが主の御心だと考えてする善意、愛の業を捨ててはなりません。罪の悲惨の中で報いられないこともありますが、報いられない悲しみを引き受けて生きていくのです。

 主イエスご自身、悲しみを引き受けて十字架につけられました。その主イエスが私たちと共にいて、おっしゃいます。「その人たちは慰められる」。主こそ我が慰めです。

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