月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年9月 2日(水)

マタイ5章3節 心の貧しい人々は、幸いである

  

「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。」(マタイ5:3)

 「幸いなるかな!」と翻訳できる文章です。腰を下ろして語る(1節)ことが当時の教師の正式なスタイルだったため、「山上の説教」は主イエスの公式説教集だと言われます。その冒頭で「幸いなるかな」と繰り返されるとは、主イエスが今も「幸いなるかな」と私たちに語り続けてくださっているということです。

 「貧しい」とは、誰にとっても、普通、いやなこと、避けたいことでしょう。とりわけ「心の貧しさ」と言われます。たとえ物質的、経済的には貧しくても、心は豊かでありたいと願うものです。

 この「貧しい」とは、苦しめられ、虐げられて、頼るものを何も持たない姿だと言われます。なぜ、頼るものを何も持たないことが幸いなのか。それは、自分の力を捨てて神に依り頼むことへと導かれるからです。その意味で、自分が神の前にむなしく空っぽであることを知り、神によって満たしていただくことを求める姿だと言えるでしょう。

 心の貧しさを知る者は幸いです。神によって豊かにされるからです。私たちは、地上にあってすでに、神の恵みによって満たされる天の国の幸いに生かされます。

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