月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年5月28日(木)

2テサロニケ3章 御言葉の宣教と祈りの必要

  

終わりに、兄弟たち、わたしたちのために祈ってください。主の言葉が、あなたがたのところでそうであったように、速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように、…と祈ってください。(2テサロニケ3:1-2)

 手紙を結ぶにあたって、パウロは自分たちのために祈って欲しいと願います。自分たちについて特に祈って欲しかったのは、「主の言葉が、…速やかに宣べ伝えられ、あがめられるように」ということでした。もちろん、パウロが願っていたことは、ただ速く福音が広まるということだけではありません。主の言葉がふさわしい栄光を受けることを願いました。

 そう祈ってほしいと願う背景には、宣教の困難さがあります。御言葉の宣教には、執拗な抵抗を伴うことがしばしばです。パウロは自分の力を過信することなく、また、御言葉に反対する勢力の力を過小評価することもありません。素直に自分たちのために祈ってほしいと願っています。

 福音の宣教の業は、確かにそれを担っている人の才能や賜物も大切な要素です。しかし、それ以上に、その働きを担っている人のために、どれだけ真剣に教会が祈り、支えてきたかということはもっと大切です。なぜなら、宣教は神の御業だからです。聖霊なる神が豊かに働いてくださるときに、神の言葉が人の心に届きます。

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