月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年4月14日(火)

ヨハネ20章24-29節 見ないのに信じる

  

イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20:29)

 復活した主イエスが最初弟子たちに現れたとき、トマスはそこにいませんでした。他の弟子たちが「わたしたちは主を見た」と言っても、それだけでは信じませんでした。そのようなトマスを諭すかのように、あらためて主イエスが現れてくださり、「見ないのに信じる人は、幸いである」と言われたのです。

 この出来事は、四つある福音書の中で、ヨハネだけが記しています。ヨハネ福音書が記されたのは、1世紀の終わり頃と思われます。それは復活した主イエスを目撃した人たちが、だんだんいなくなる時代です。そのような中、ヨハネはこの記事を記したのです。これからは目撃証人がいない時代になる。しかし、証言を聞くことによって信じることができると教えるのです。目撃証人と同じように、主イエスを知り、信じることができるのです。

 この記事のすぐあとにヨハネは、主イエスを信じるためにこの書物を書いたと記しています。今日では、聖書という証言を通して、主イエスの復活を信じることができるのです。信仰の幸いにいたることができるのです。「見ないのに信じる人は、幸いである」。

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