月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年2月25日(火)

士師17章 誰が主のようなものか

  

そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた。(士師17:6)

 サムソンの死後、イスラエルの堕落は、あらゆる面で極まります。そして、内輪もめに終始します。

 17章にミカが登場します。これまでの士師記の流れなら新たな士師の登場かと思われます。しかし、ミカは士師とは言えません。そもそもミカという名は「誰が主のようなものか」という意味です。ミカは母の銀貨を盗み、親を敬わず、盗みをごまかすため神の名をみだりに用い、聖書の神と異なる神を考え、その像を造り、と十戒の大半を犯しています。「わたしミカこそ主だ」と言わんばかりの態度です。神礼拝の神殿すら自前で保有し、ついにはベツレヘムから寄留地を求めてやってきたレビ人を祭司に迎え、「今や主がわたしを幸せにしてくださることが分かった」と決めつけてしまいます。(13節)。これらは「自分の目に正しいとする」ならばよしとする考え方から生じました。

 生まれながらに罪のある人間の目は、愚かな判断を下してしまいます。罪を洗い流され、主の喜ばれる判断を下せる目を持つことができるよう、祈りましょう。

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