月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年1月13日(月)

マタイ25章 忠実な良い僕だ

  

「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。」(マタイ25:21)

 私たちは神から、それぞれ賜物を与えられています。いろいろな才能、能力、そして何よりも神を信じる信仰、それらはすべて神からの賜物です。

 それらは、決して小さいものではありません。一番金額の少ない人が預かった1タラントンでも、6千日分の賃金でした。それにもかかわらずその人は、預かったお金を穴に埋めて隠してしまいました。彼が主人のことを「蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方」だと思ったからです。けれども私たちの主人である神は、決してそのようなお方ではありません。神は、賜物を用いて生きる私たちを、温かいまなざしで見てくださっています。終わりの日には私たちを、「良い忠実な僕」として喜んでくださり、私たちに「天の御国」の財産を管理させてくださるのです。それは今、地上で与えられている賜物とは比較にならないほど大きなものです。その日を共に目指して歩みましょう。

 私たちの賜物は、神のあたたかい愛によるものです。この神に信頼して主にお会いするその日まで、与えられた賜物を生かして歩みましょう。

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