割礼を受けていたイスラエルの民は、彼らの神への罪ゆえに、エジプトを出て後、途中、荒れ野で死んでしまいました。一方、途中、荒れ野で生まれた民は、だれも割礼を受けていませんでした。そのため、これからカナンの地を占領するにあたり彼らがまずしなければならなかったことは、割礼を受けることでした。これは神が命じておられたことであり、神の民の一員として神への献身を表していたからです。そして、そのように神に従い、全面的に神に信頼することによってこそカナンの地での戦いに勝利することができるからです。割礼は、ある意味で献身の印、象徴であったとも言えます。そのとき、主はヨシュアに、火打ち石の刃物を作り、もう一度イスラエルの人々に割礼を施せ、とお命じになった。(ヨシュア5:2)