月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年5月26日(日)

ヨハネ5章1-9節 憐れみの泉なるイエス・キリスト

イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。…イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」(ヨハネ5:6-8)

 羊の門の傍らにベトザタと呼ばれる池があり、その周囲に病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人など、大勢が横たわっていました。それは、その池の水が動くことがあり、その時、真っ先に水に入る者はどんな病でも癒やされるという「言い伝え」があって、そのような迷信に一縷の望みをかけていたからです。

 しかし、ここで問題は、力のある者が第一にその恵みに浴することができる、厳しい競争が繰り広げられていて、そこには憐れみはなく、出遅れた者は敗北者のように、いつも天を仰ぎ、やるせない思いに突き落とされていたということです。

 主イエスは、38年間、敗北し続けてきた名もない人に目を注がれ、「良くなりたいか」とおっしゃいました。大勢の中から、特にこの人に目を注がれ、病を癒やされた理由が何だったのか、一切分かりません。ただ一つ言えることは、今、このように信仰に導かれている私たちに対しても、同じように関心を持たれ、特別に目を注がれ、救いに導いてくださったということです。私たちにとって主イエスこそ憐れみの泉です。

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