月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年3月16日(土)

ヨハネ16章 わたしはひとりではない

「あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。(ヨハネ16:32)」

 主イエスは、1人で十字架の道を進まれました。こんな時こそ、仲間が一緒にいてほしい。でも、弟子たちは主イエスの十字架の道について行くことはできなかった。だから主はおっしゃいます。「あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている」。

 私たちならどうでしょう。今こそ一緒にいて助けてほしいのに。ここまで一緒にやってきて、いよいよこれからなのに、仲間が離れて行ってしまう。頼りにしていたあの人も、はしごをはずすように裏切る。

 わたしなら、落胆、憤りで大騒ぎです。でも、主イエスは違っていた。主は、頼るべきは父なる神で、父は決して御子を見放さないとの確信を持ち続けられた。人は、裏切るつもりはなくても、助ける実力がないことがしばしばです。しかし御父は違う。だから主イエスは堅く立つのです。

 「わたしはひとりではない。父が共にいてくださる」。

 私たちも同様です。御父が、主イエスが共にいてくださいます。「最悪」と思われる時こそ、共にいて、「大丈夫。わたしがあなたと共にいる!」と言ってくださいます。

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