月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年2月13日(水)

サムエル上8章 王を求める声

王を与えよとの彼らの言い分は、サムエルの目には悪と映った。そこでサムエルは主に祈った。主はサムエルに言われた。「…彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ。…今は彼らの声に従いなさい。ただし、彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい。」(サムエル上8:6-9)

 民が王を求める声には根本的な矛盾があると、預言者サムエルは気づいていました。しかし、主はサムエルに王の権能を教えておくようにと指示されました。それは民の義務を自覚させるとともに、王が絶対的権能をほしいままにしてはならないという警告でもありました。

 日本国憲法が「国民主権」とともに「象徴天皇制」を認めていることにも、根本的な矛盾があります。日本国民は主権者でありながら王を求めているのでしょうか。しかし、これは、世界共通の現象であるようです。

 為政者が大衆心理を利用して現人神を再現しようとすると、信教の自由は脅かされる危険があります。大嘗祭は、人が現人神になる天皇霊継承の儀式ですが、「公的行為」として行われると、政教分離原則は捨て去られる状態になります。

 国家が宗教を規定すると、「神社は宗教ではなく国民儀礼」という戦前の主張と同じことが起こります。その本質は、為政者が神の位置を占める、国家の神格化なのです。そのようなことを、私たちは求めるのでしょうか。

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