月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年9月28日(金)

ルカ11章 あきらめずに祈り続ける

「だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」(ルカ11:10)

 真夜中にパンを求める友人のたとえは、「執念深く祈れば祈りは聞かれる」ということを教えているのではありません。「人間の友達でもしつように頼めば願いを聞いてくれる。まして、神が熱心に祈り続ける私たちの祈りを聞いてくださらないはずがあろうか。神はきっと聞いてくださる」という、神への信頼に基づく祈りへの熱心が教えられているのです。

 「祈りが聞かれるように、しつように執念深く祈る」ということと、「神は必ず祈りを聞いてくださると信じてあきらめずに祈り続ける」ということ、そこにある信仰者の態度は全く違うものです。

 「神の主権」を強調する改革派信仰の伝統に生きる私たちは、「自分の熱心で神を動かしてやる」と思うことは少ないのかもしれません。しかし、反対の誘惑は少なくないのではないでしょうか。すなわち、「神はすべてご存じだから大丈夫だ」という誤った神への信頼から「あまり祈らない」という誘惑です。

 私たちは正しい神への信頼を、むしろ神の御心を尋ね求めて「あきらめずに祈り続ける」という祈りの熱心にあらわしたいと思います。

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