月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年11月30日(月)

イザヤ50章 主を畏れ、主の僕の声に聞き従おう

お前たちのうちにいるであろうか
主を畏れ、主の僕の声に聞き従う者が。
闇の中を歩くときも、光のないときも
主の御名に信頼し、その神を支えとする者が。(イザヤ50:10)

 この章では、エルサレムとその住民の関係を、母と子になぞらえています。人々の目には、エルサレムがまるで夫から離縁状を突きつけられた妻のように、エルサレムに住む住民たちが借金の肩代わりに債権者に引き渡された子供のように映っています。しかし、主である神は「離縁状はどれか」「債権者は誰か」と問いかけます(1節)。エルサレムが敵の手に渡り、その住民が捕囚の民として連れて行かれたのは、決して神が離縁状を突きつけたからではなく、債権者として子供を引いていったからでもありません。神の民自身のそむきの罪の結果です。神が彼らを見捨てたのではありません。

 ここには、まだ救いの希望があります。神はその僕を通して、神の民イスラエルを救いへと招き続けています。「主なる神が助けてくださ」います(7節)。主の僕も、頑ななこの民の抵抗にも挫けずに、主からの言葉を語ります。主にそむき続け、自分の思いに頼って歩み続けるならば、その行き着く末は苦悩しかありません。

 神は、今日もなお、神を畏れ、キリストの声に聞き従う者がいるかと問いかけ、イエス・キリストを通して私たちを救いへと招いておられます。

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